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世界一周せきらら!?日記〜本編〜

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一難さってまた一難

チベタンガイド

お世話になったチベタンガイド

やばい寝坊した。
チベット旅行、いや今までで最高のYHAに泊まった僕は高山病の開放感からか寝坊をしてしまった。 朝起きてホテル並みのバスルームで熱いシャワーを浴びる予定が・・・。
残念ながら急いで(お湯がでるまで10分以上かかるので)水シャワーを浴びて宿を出ることに。無念!!
ガイドとともにパスポートコントロールへ向かい手続きを終えチベット旅行が終了した。長かった中国の旅も終わった。
さようならチャイナ、また戻ってきたいと思う。
そしてネーパルへ。ナマステ〜!!
11ヶ国目、日本との時差3時間15分(って中途半端!!)、やっとちょっと日本から離れた気がする。
さぁいざカトマンズへ!!
先発組みの情報によると雨季の影響で道が決壊していてバスを乗り継いでいかなければないらしい。 そういえば中国からネパールへ入ると道がでこぼこである。イミグレの建物もぼろい。 今思えば中国がいかに先進国だったかがわかる。
白タクの車

この車で決壊場所まで移動

さて、いかにしてカトマンズへ向かおうか・・・と思う暇もなく白たくのおっちゃんが声をかけてきた。 この先道が決壊しているからジープを乗り継いでカトマンズまで1000ルピー(約1200円)だと。
道が決壊してるのは知っている。でも1000ルピーとは大きく出たもんだ。 さすがボーダーの町、早速ぼったくろうとする輩の登場だ。
残念ながら今回我がチームには西洋人が5人、そのうちラエリー3人だ。 そのラエリーが巧みな英語力とラエリーパワーを発揮して1人250ルピー(約300円)で決壊場所まで行ってもらうことに。
普段は五月蝿くて文句たれでウザくて有名なラエリーも仲間にすれば頼もしい限り!! (実際我がチームラエリーはとてもいい人たちでしたよ)
ぼろぼろの乗用車2台に詰め込まれ悪路を進んだ僕達は早くも20分ほどで決壊場所にぶちあったってしまった。 しかたがないので車を降り荷物を担いで歩くことに。
しかし歩けども歩けども次の車が見当たらない。久しぶりに担ぐバッグが肩に食い込み重い、早くも汗だくに。
ようやく20分ほど歩くと先に黒山の人だかりがあった。
そこは山から流れ落ちる水が川となり大きな岩を含む土砂が流れ落ちてきていた。 お陰で車はおろか人の行き来すら出来ない状態である。 轟音とともに流れ落ちる土砂はなかなか圧巻だった。 暇つぶしと記念を兼ねてムービーも撮らせて頂いた。
その土砂が落ち着くのを待って「いまだー!!」とばかりに川を越えていく。 なかなかスリル満点の移動だった。 決壊場所

決壊場所。写真ではわかりにくいけど右の写真の上から土砂が流れ落ちてきている。

やっとの思いで決壊を越え僕達はバスに乗ることが出来た。 しかし席はもうない、ってことで荷物と一緒にバスの上に乗る羽目に。 話には聞いていたバスの上、何事も経験と喜んでバスに上がった。
これもなかなかのスリルを味わえる。 バスがコーナーを曲がるたびに外に重心がかかるもんだからそのまま谷底へ落ちるじゃないかと。 正直何回か「ヒヤッ」とする場所があった。 後半は人も少なくなり体を横にして寝てしまうほど慣れてしまった。 バス移動

バスの中と同じくらいの人が上に乗ってます。

途中の町でバスを乗り換え8時間ほどかけてようやくカトマンズへ着いた。
そして夜に先発組みと合流し久しぶりにみんなで日本食を食べた。 僕は大好きな唐揚定食を食べた。やはりここネパールでもチキンは裏切らなかった。
「チキンよ、世界中にお前がいる限り俺はどこででも生きていける、・・・多分。ありがとう、チキン様。」
ご飯も日本米に近く旨かった。おかわり自由とあって4杯も食べてしまった。
学生の頃、野球部の仲間を引きつれ地元の定食屋へ行ったことを思い出した。 ご飯おかわり自由をいいことに4杯食べた。岡本は6杯食べた。その他のメンバーも3杯から5杯は食べていた。
翌週1人でその定食屋へ行った時「ご飯おかわり1回まで」と張り紙が変わっていた。
この日本食屋がそうならないことを願いたい。 まぁネパールの定食ダルバートもおかわり自由なので問題ないと思うが。

PS.残念ながらカメラを忘れたのでネパール1食目の日本料理の写真がない。無念!!

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